鶴川正也(青学)がサッカーから陸上に変えた3つの理由|走りたくない本音の真相とは

青山学院大学陸上部の鶴川正也選手。


イケメンでも話題で、2024年の出雲駅伝と全日本大学駅伝で区間賞を獲得。

また、5000mと10000mで大学記録を更新するなど箱根駅伝のメンバーに4年目にして初めて選ばれました!

そんな鶴川正也選手が長距離走を本格的に始めたのは高校生から。

中学生まではサッカー部に所属していたようなので、サッカー部から陸上部へ変わったきっかけやその後の鶴川正也選手の苦悩と躍進について、まとめてみました。

目次

鶴川正也がサッカーから陸上に変えた3つの理由

出典:X

鶴川正也選手がサッカーから陸上の長距離走に変えた理由は以下3つが関連していると思われます。

  1. 小学時代、走るのが得意かもと思えた
  2. 中学時代、日本一走るサッカー部で経験を積んだ
  3. 中学時代、全国3位になり自信がついた

1.小学時代、走るのが得意かもと思えた

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小学生の頃に始めたのはサッカーだったという鶴川正也選手。

地元のマラソン大会で賞を取ることを連発し、長距離走に対しての可能性を意識し始めたそうです。

地元のマラソン大会で入賞したり優勝することがありました。元々自覚はなかったのですが、次第に「俺、足速いんだ! サッカーより長距離やったほうがいいのかな?」と思うようになりました。

引用元:セルロース

2.中学時代、日本一走るサッカー部で経験を積んだ

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中学生になり、引き続きサッカー部に所属してご活躍された鶴川正也選手。

中学2年生からは陸上部と兼務で没頭されていた様です。

そして所属していたサッカー部はとにかく走る部だったんだとか…!

中学3年生まではサッカーを続けましたが、めちゃくちゃ走るサッカー部だったんですよ。日本一走っていた自信がありました。

引用元:セルロース

サッカー部で培った走りまくるという経験も現在の鶴川正也選手の実力に繋がっているのかもしれませんね。

3.中学時代、全国3位になり自信がついた

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中学生3年生の時、サッカー部の活動が8月に終わり、陸上のジュニア選手権に繋がる大会で県予選を優勝した鶴川正也選手。

まさかの優勝にご本人もびっくり!

何週間か練習したら大会記録で優勝することができ、10月のジュニアオリンピック本番では全国3位になって、「マジか!」と思いました。 

引用元:セルロース

サッカーは「楽しさ」、長距離は「得意」と思っていた鶴川選手。

この出来事もあり、長距離走に対しての自信が大きくついて高校へ入学し、本格的に陸上の長距離走に取り組むようになったそうです。

鶴川正也の走りたくない本音の真相

出典:X

高校生活でもがむしゃらにマラソンに没頭し、経験を積んだ鶴川正也選手。

箱根駅伝でトップを走る青山学院大学がかっこいい!!と感じ、憧れを抱いて青山学院大学へ進学しました。

しかし大学進学後は度重なる怪我により2年生まで駅伝メンバーに選ばれる事はなく…。

それでも鶴川正也選手は「来年は絶対に走れる」と強い信念のもと練習を重ねます。

その時の鶴川正也選手はご両親も驚くほどのポジティブな姿だったそうです。

母・美樹さんは「遠く離れている私たちの方が落ち込む」と話し、「“ここから僕は絶対に走れる。来年は絶対に走れる”って切り替えが早くて」と息子の言葉に驚きの様子。また父・和宏さんも「スーパーポジティブ男だと思っている」と語りました。

引用元:Yahooニュース

そしてついに3年生、出雲駅伝でアンカーとしての出場を果たしたもののチームの順位を落とす結果に…。

それでも全く落ち込まず前向きに次に向けてひたすら練習を重ねた鶴川正也選手。

しかし、練習のしすぎでまさかの大腿骨の疲労骨折をしてしまいました。

常に前向きだった鶴川正也選手ですが、この時は「陸上をやめたい」とご両親に言ったそうです。

その言葉に込められた本人の気持ちを受け止めたご両親がかけた言葉により鶴川正也選手は着実に怪我を乗り越え、4年生でついに箱根駅伝のメンバーに選ばれました

(母・美樹さん)「走ることが嫌いになったわけではないと感じていた。このチームで活躍したい思いで大学進学したけれど、あえて“箱根駅伝が全てではないよ”と声をかけました」 

鶴川選手は気づきます。前回大会、沿道で仲間を鼓舞しながら、“やっぱりこの道を走りたい”と。

「“ゆっくりでいい” ”休んでいいよ”という(両親からの)言葉で、自分のペースでゆっくり戻ってくることができたので、本当に感謝しています」

引用元:Yahooニュース

鶴川正也(青学)がサッカーから陸上に変えた3つの理由|走りたくない本音の真相とは|まとめ

サッカーから始まり、陸上競技へ飛躍の転身をされた鶴川正也選手。

大学へ進学後は怪我で悩まされる日々が続き、時には弱音を吐いてしまったこともありましたが、ご両親の大きな支えもあり、最初で最後の箱根駅伝に挑むこととなりました。

多くの悔しい気持ちを乗り越えたからこそ、強い信念のもと、今の姿があるのかもしれませんね。

これからの鶴川正也選手のご活躍がより一層、楽しみです!!

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